Angler in The Dark 98

Rollin' on the River
<写真:吉田耕司>


坂口 正夫



空撮したヘリからの写真。ビッグホーンの大きさが分る。
人が成長した姿を見たり聞いたりするのは、どんなときでも嬉しいものだ。自分の子どもや友人の子どもなどもいうには及ばないが、何かの縁があり、袖が触れ合った人が思わぬ活躍をしているというのは、驚くと同時に、そうか、そんなに成長したのかという感慨にふけらずにはいられない。

95年のことだ。その頃、ボクは田代忠之さん法之さんと一緒に釣りをしたり、アメリカで開催されるFFFのコンクレイヴ(国際的な釣り団体の年次総会)に参加したり、それらのことを雑誌に掲載してりしていた。NHK衛星放送の企画で、アメリカでの撮影が決まったのも、そんな一連の流れの中でのことだった。モンタナ州リヴィングストンで開催されるFFFコンクレイヴやビッグホーン・リヴァ、シルヴァ・クリークの釣りに臨む田代さんたちの姿を中心に制作することになった。

この衛星放送の作品は、何度も再放送として放映されたこともあり、ご覧になった方は多いと思う。ボクにも、見たよと声をかけてくれた友だちが多くいる。実は、ほんの数秒だが、ボクも登場している。多くの方に楽しんでいただけたのは、撮影に関わったボクとしても大変嬉しいのだが、何より嬉しいのは、釣りの番組としてのクォリティの高さを褒めていただくことだ。番組は二人のプロデューサーのもと、撮影部隊となったディレクター、キャメラマン、キャメラ・アシスタント、音声という四人のスタッフで行われた。このチームが、実に素晴らしい仕事をやり遂げたということだ。もちろん、田代さんたちの得がたいキャラクターも重要な要素であるが、一つの作品としてみると、あの撮影チームがいなければ、という思いは深い。ボクは、全体のスケジューリングや宿の手配、空撮に使うヘリのパイロットとの調整、その場での応急対応など、まあ、臨時のコーディネイターというか、裏方という立場だった。

キャメラマンのY氏はフライフィッシャーで、それが選ばれた大きな理由だと思うが、ドキュメンタリィ映像の世界では、何度も修羅場を経験されていて、まさにこれ以上ない適任の人だった。彼は、以前にも北海道の阿寒川でも田代さんたちを撮影されていて、そのときの映像をもとにNHKの協力のもと、コンクレイヴでのプレゼンティション用VTRが事前に作成されもした。キャメラ・アシスタントのTくんはまだ若く、将来が嘱望されるドキュメンタリィ映像キャメラマンということだった。

撮影に当たっては、当時、日本には数台しかないといわれた暗視ハイヴィジョン・キャメラもNHKから貸し出されていた。その意気込みがうかがえよう。いうまでもなく、イヴニング・ライズ用だ。ビッグホーンのカディスの場面やシルヴァ・クリークのPEDでの釣り場面に使用された。


素晴らしいドキュメンタリィになったのは、周到な準備と撮影チームの意欲。



事件が起きたのは、ビッグホーン・リヴァだった。この日は田代さんたちの釣りを撮影する日で、全員で「3マイル・アクセス」の下流にある島(中洲)に渡った。この島のことについては、このFFJでも何度かとりあげた(こちら第9回)ので、記憶にある方もいよう。ボクたちが自分の足でみつけた、長大なビッグホーンの中でも、一・ニといっていいベスト・スポットなのだ。年によって流量(ダム放出水量)が違うが、途中に深いところがあり、通常の水位ではウェイディングしては渡れない。まして、撮影機材もある。ボクがプロ・ショップでボートを手配し、スタッフと機材を積んで渡船してもらった。帰りは、時間を決めておいて、迎えにきてもらう。その間、この島からは移動できない。島に篭っての撮影に近い。

撮影が開始されて間もないときだった。近くにいたアシスタント・キャメラマンのTくんが「あっ!」という叫び声を上げて倒れこんだ。駆け寄ってみると、目を押さえている。ハチかアブのような虫が目に飛び込んできたというのだ。驚いたが、どうにもならない。目が開けられないという。全く想定していない事故で、応急の処置もできない。撮影を中断して、ディレクターとキャメラマンの意見を聞いた。「キャメラマンにとって目は命です。」

起きてしまったことを悔やんでも仕方ない。この先でベストを尽くすしかないのだ。迷っているヒマはなかった。一刻を争う。とにかく病院にいこう。ボクは通りかかるボートを止めて、事情を話した。そして、ボクとTくんを対岸にある3マイル・アクセスまでボートで渡してもらった。撮影を中断する訳にはいかない。田代さんたちとスタッフ三名は現場に残った。Tくんと二人で駐車場に戻り、フォート・スミスの町に戻る。フォート・スミスというのは、アメリカ・インディアンの居留区の中にあるほんとに小さな町で、釣りの拠点以外には、訪れる観光客はいるのだろうか、というような町だ。泊まっていたモゥテルの管理人に一番近い病院を聞いたが、首を振るばかりでラチはあかなかった。この町には病院はない。やっと、ここらか50マイルほど離れたハーディンという町に病院があることを聞き出したが、「今日は日曜日でやっていないと思う・・・。」

ボクは、モゥテルの管理人に食い下がった。彼はキャメラマンなのだ。目は命だ。とにかく、診てくれる病院と医者をさがしてくれ。管理人が何本か電話していた。そして遂に、見つけてくれた。「このクリニックに行け。休みだが、医者は来てくれる。」ボクは部屋に戻り現金をつかみ、出発した。当時のアメリカの病院では、クレジットカードは使えなかった。遠かった。実際、距離があって遠いのだが、実際の距離の何倍も遠く感じた。ハンドルを握り締め、懸命に車を走らせた。


様々なドラマを生んだ撮影だった。ボクにとっては大きな転機となった。



クリニックは休みで、がらんとしていた。どうやって中に入ったのかは記憶がないのだが、たぶん、裏口から入れと言われたのだと思う。いま思えば、セキュリティはどうなっていたのかということになるが、その時代、あまりうるさくなかったのか、それとも田舎町ゆえか、そのあたりは分らない。誰もいない薄暗いクリニックの中、二人でイスに座って待った。医者はなかなか来なかった。待つしかないのは分っていても、イラついた。

ポロシャツ姿の若い医者が入ってきて、さっと白衣を羽織ると、直ぐに診てくれた。医者に向って手際がいいというのは適切とは思わないが、医者の自信に満ちた態度は、ボクを安心させた。大丈夫だ、大事には至らない・・・

眼球に傷はついているが、治る。目の機能そのものや視力等には影響ないという診断だった。彼もボクもほっとした。この後の予定を聞かれ、アイダホ州のケッチャム/サン・ヴァレィに行くと告げると、この医者に診てもらえと紹介状を書いてくれた。日本に帰れば保険の請求もあるので、診断書等の書類も書いてもらった。塗り薬や眼帯をもらい、医者には感謝とお礼を述べた。精算を済ませ病院を後にすると、腹が減っていることに気づき、二人でチキンを買って食べた。

つくづく、人生は縁と運だと思う。どんな人だって事故には遭う。軽く済むのか、オオゴトになるのかは紙一重だ。虫の眼へのアタックがもっと激しければ、もっと致命的なところだったら、病院がはるか遠くで、医者がいなかったら・・・最悪でなくとも、より悪いケイスならいくらでも思いつく。こういうときに、軽いほうに転ぶのか悪いほうに転ぶのかは、大げさなことを言うようだが、その人の人生を左右しかねない。

フォート・スミスに戻ると、ボクはTくんに、今日はこのまま休めといった。軽症かもしれないが、眼なのだ。モゥテルで寝ていればよい。ところが、彼は頑なだった。現場に戻ると言い張るのだ。ボクは、プロフェッショナルの気魄と覚悟を感じ取った。彼は、アシスタントとはいえ、プロ・キャメラマンなのだ。ドキュメンタリィを目指している。この先、どんな厳しい場面が待っているか分らない。このときの彼は、眼帯をして片目だが、決して後には引かないという目をしていた。ボクごときがプロに説教するのはおこがましい。ボクは、彼に押し切られることにした。


モンタナ州ビッグホーンに続いてアイダホ州のシルヴァクリーク。タフな移動だった。



だが、実際に3マイル・アクセスに戻ってみると、さて、どうやって川を渡るのか?という問題に直面した。同じような場面は、何年か前にも逆方向であったし(こちら第65回)、今日も、病院に行くのに通りがかったボートをつかまえて渡ったのだ。同じテしかなかった。ところが、時間帯も悪かったのだろうが、声をかけられる範囲にボートは寄ってこなかった。さて…??

フロート・チューバーが下ってきた。ビッグホーンでは、フロート・チューブで川を下るのも、ボートほどではないが人気がある。販売されている立派なフロート・チューブではなく、トラックのタイヤから取り出したままのチューブに少し手を加えたようなやつだった。ボクは声をかけた。そのチューブにオレたち二人、ぶら下がっていいかい?

いーとも。快諾だった。こういうところは、やはりアメリカだ。細かいことは気にしない。何か起きたって、彼の責任ではない。ぶら下がりたいと言ったボクらの責任なのだ。むしろ、面白がっているようにみえた。彼はニコニコしながら、足が着くところまで近寄ってきてくれ、ボクたちがバランスを取るために左右に分かれてしがみつくことにした。ゆっくりと流れに入る。ボクらは、チューブの上に体をずり上げなければならなかった。ウェイダーの脇から水が入ってきそうになるので、手だけでチューブにぶら下がるというわけにはいかないのだ。チューブは丸くて滑る。とても辛い体勢だった。今にも腕を放してしまいそうだったが、こんなところで泳ぐのはイヤだ。懸命にこらえた。

ほんの数分、ゆらゆら川を漂うようなフロート・チューブの旅だった。ボクらは現場に復帰した。まだ夕刻前で、遅いイヴニング・ライズには十分の時間があった。Tくんは、この後の撮影に眼帯をして臨み、ケッチャム/サン・ヴァレィでの診察も、帰国してからの診察も特に問題はなく、元気に活躍していると聞いた。Tくんとは、このとき以来、会っていない。


シルヴァクリークの木橋。薄暮のPED羽化は、この上流部で撮影された。



一連のことを思い出したのは、昨年、キャメラマン、Y氏の写真展(スチル)でY氏に再会したからだ。Y氏とは、アメリカでの撮影以来、たまに一緒に釣りに行ったり、飲みに行ったりする仲となった。もともとフライフィッシャーであり、アメリカでの取材のときも、本当はロッドを持って行きたかったという人だ。放映された番組を見た人が、これを撮影したのはフライをやる人じゃないか?と思ったことだろうが、まさに、その通り。フライをやる人の目じゃなければ撮れない、というシーンは多かった。

ボクが、「そういえば、あのときのTくん、元気にやってますか?」とYさんに聞いたところ、元気どころか大活躍ですよ。映画で賞を取りました、と驚くような話が返ってきた。ネットを検索すると、先だって(09年2月)の毎日映画コンクールで「撮影賞」を取っているではないか。若松孝二さんが監督賞に輝いた「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」は、彼の撮影なのだ。ドキュメンタリィの経験を活かしたキャメラ・ワークが評価されたらしい。すごいことだ。あのときのTくんが・・・思わず、目に汗をかきそうになった…

辻智彦さんという。つい最近では、これまた若松監督の話題作「キャタピラー」の撮影も彼だ。どうやら、若松映画には欠かせないキャメラマンとなったようだ。お会いして、あのときの話をしてみたい。二人でぶら下がったフロート・チューブ。水面上30Cmくらいから見上げたモンタナの空の大きかったこと、青かったこと。そして、水の香りを味わった時間。ゆらゆらと漂ったビッグホーンの水の上。ボクと辻さんしか知らない世界。ほんの数分間だが、あれほど濃密な数分間は他にないような気がする。





シルヴァクリーク。四枚目の写真と対をなす角度からの空撮。
美しいスプリングクリーク。



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