この連載、ほぼ1ヶ月に1回の更新を行なってきたが、前回の更新を最後に、一年以上も休んでしまった。心配してくださった方々もいたようで、誠に申し訳ない。心よりお詫び申し上げる。体調を崩したとか、書く意欲がなくなってしまったというような事ではないし、webマガジン編集部から打ち切りを宣告されたわけでもない。60歳という大きな区切りを迎え、身の回りのことであれやこれやあり、落ち着かなかったというのが真相だ。
釣りにせよ、エッセイにせよ、やはり仕事や個人的なことが安定し、元気が湧いてくるようなときではないと、いま一つ気分的に乗りきれないものがある。仕事や生活の安定など、どこかバカにしてきたボクだが、定年を迎える歳になってやっとそのことの重要さ、有難さに気づくというのは、ボクらしいともいえるし、全く間抜けなことだともいえる。やっと一人前の?大人になってきたのかもしれないな。ということで、ここは一つ気合を入れ直し、一皮むけたボクを感じていただくためにも、これまで以上に真剣に連載に取り組んでいきたいと思っている。
60歳というのは還暦だ。還暦につきものの「赤いちゃんちゃんこ」ならぬ、赤いフライ・ヴェストがボクに廻ってきた。これは、二年前、ある先輩の還暦のお祝いにボクが見つけたColumbia Sports社の赤メッシュ・ヴェストで、ボクで三代目になる。先輩に贈り着て戴いたのだが、ご本人より、以降は順番に着ていこうというお申し出があり、今年はボクに廻ってきたということだ。初代の先輩は奥日光湯川が好きで、そのゆるゆるとしたブログが人気を集めている。二代目の先輩もまた奥日光湯川を愛するフライフィッシャーの一人で、どうやらこのヴェストには、奥日光湯川の風と香りが染み込んでいるようだった。
ボクも、もちろん奥日光湯川には特別な思いを持っている。釣りで初めて訪れたのはまだルアー小僧だった70年代中ごろで、フライをやるようになった70年代の終わりから湯川の釣りとともに育ってきた。湯川がなければ、こんなにフライフィッシングに夢中になることはなかっただろうし、このエッセイだって書いていたか怪しい。何より、いまのボクにとって最も大切な多くの友だちに出会わなかっただろうことは間違いない。
その奥日光湯川をめぐっては、この春先にちょっとした騒ぎがあった。5月1日の解禁が話題になりはじめた3月末に、奥日光湯川を管理する(正確には、独法・水産総合研究所−中央水産研究所から研究を委託されている)全国内水面漁協のHPに、湯川の釣り禁止区域の拡大が発表されたのだ。従来の釣り禁止区間(泉門池裏から背中合わせの区間)に加え、H23からは赤沼からヤツモモ裏までの区間、いずれ、下流部の主要区間全てで釣りができなくなるという内容だった。
結果的には、5月後半に禁止区域拡大は「撤回」となったが、約2ヶ月間、多くの釣り人・フライフィッシャーがこの問題に振り回された。釣り禁止区域拡大の発表が突然であったことや、禁止区域拡大の理由がなかなか明確にならなかったからだ。撤回も、心配していた人々には朗報であったのは間違いないが、唐突な感も否めなかった。

少し湯川と湯川における釣りについて整理しておこう。湯川には、一般の川にあるような漁業協同組合は存在しない。川の歴史を振り返ってみると、当初は皇室保有の川として皇族や外交官に開放されていたのみだったが、戦後に水産庁に移管され、更には水産庁の養殖研究所の所管とされたようだ。現在、さかな公園(正式名称:さかなと森の観察園)となっている養殖研究所は、名前の通り、淡水魚、とりわけサケ科マス属やイワナ属の養殖技術の研究を行なう場として存在してきた。現在は、独立行政法人水産総合研究所―中央水産研究所(以下、独法水研)と名前を変えている。湯川は、独法水研の日光支所が管轄している。
湯川は独法水研の研究フィールドであり、その研究を全国内水面漁協(以下、全内)に委託してきた。つまり、湯川の釣りは「研究の一環」であり、釣りは「研究への協力」、「調査員」ということで行なわれてきたのである。無秩序な釣りが行なわれてはいけないので、管理する立場の全内は入漁料に相当する費用を釣り人から徴収し、湯川の維持管理を充実させるとともに、いつどこで、どんな鱒が釣れたかを釣り人に報告させ、研究に資していた。しかし、本質的な点は、調査・研究のためという大義名分はあったにせよ、実態としては、湯川は当初から「遊漁の川」だったということであり、少なくとも戦後60年以上は、「Open to public」、公共の釣り場であり続けたということではないだろうかと思う。
少し話が横道に逸れるが、一般の河川における漁業協同組合(漁協)というのは、河川における権利を認める代わりに、「魚の増殖」を義務付けられている。簡単にいうと、入漁料を徴収してもいいが、その収益金は、増殖のために使いなさいということなのである。戦後間もなくできた古い法律であり、とても現在の釣りに対応しているとは思えないが、日本の遊漁行政も漁協も、古い法律の中で動いている。解禁日や、それ以降も定期的に放流を行っているのは、まさにこの「増殖」のためであり、一部の人が、放流はあまり意味がないので控えてはどうかと提案しても聞き入れられないのは、古い法律に縛られ、「増殖」の使命感あふれる漁協にあっては、当然ともいえる帰結なのだろう。
全内は少し事情が違う。水研から委託された研究を遂行することが最も優先順位の高い業務であり、キャッチ&リリースの施行なども、一般の漁協であれば、「それでは増殖にならない」という極めて平易な論理的否定にいきつくところであろうが(実は、あまり論理的ではないと思うのだが)、新しい実験的な試みはむしろ「研究」には適しており、大きな抵抗なく実施できたのではないだろうかと想像される。キャッチ&リリースに関する研究などは、釣り人からみても大変興味深く、質の高い内容と評価できる論文が発表されている。産卵活動、生育状況、個体数や分布などの研究も、水研と全内、それに協力する釣り人という関係が比較的うまく機能し、一定の成果があったのは間違いない。

今回の全内の釣り禁止区域拡大の発表は、H23年(来年)からは赤沼からヤツモモウラを禁止し、いずれ(時期は明示されていなかったが、三年間で、ということだった)赤沼から青木橋を越えて泉門池までの区間を禁止するとなっていた。釣り区間としては湯川の半分近くに相当する、湯川下流部のほぼ全域を禁止にするに等しい計画だった。発表された当時のHPをみる限りでは、禁止区域拡大の明確な理由は分らず、混乱に拍車をかけたような面もあった。5/1の解禁日より配布されたチラシによってはじめて、釣り人の「踏み跡」や、釣り人が主要な原因と思われる(?)裸地が自然保護に反するということが明らかになった。
踏み跡や裸地というのは、釣り人だけが原因とはいえない面もある。ただ、釣り人がしばしば通った、あるいは、川に入るために釣り人が踏んだことも原因の一つとはいえるし、釣り人の踏み跡がきっかけとなり、ハイカーなども立ち入るようになった可能性は高い。奥日光の戦場ヶ原は特別保護区となっていて、ハイカーなどは「木道から下りない」よう指導されているのだ。
しかし、問題があるにせよ、そこからいきなり禁漁区間の設定・拡大というのは、三段論法的というよりも、突然の大飛躍という感じだった。今回禁止されようとした区域というのは、赤沼から上流に向かい、戦場ヶ原や男体山を右手に見ながら進む木道沿いに流れる区域で、最も湯川らしい風景が見られる場所だ。湿原や自然が貴重なものであることは理解するが、いきなり禁止はないだろう、というのが正直な気持ちだった。100年を超す歴史がある釣りなのだ。唐突に禁止を打ち出すのではなく、何らかの解決策、折衷案を模索する動きはなかったのだろうか?
その後、禁止区域拡大については、「釣り人の意見も聞きながら検討する必要があるので、一旦撤回する」ということになったのだが、色々聞いてみたところ、裸地や踏み跡は以前から指摘されていた問題のようであり、現地の管理者や環境サイドでは問題意識を持っていたようだ。したがって、撤回されたとはいっても、依然、裸地や踏み跡の問題は残っている。何らかの解決策を模索しなければ、釣り人も落ち着いて釣りができない。ある意味、湯川の釣りのことをよく知ってもらい、もっと公に認知してもらえるよい機会であるとも思えるし、管理者とも問題意識を共有し、改善に向けた活動を行なうべきだろうと思う。

奥日光湯川は、湯元にある湯の湖に端を発し、戦場ヶ原を流れたのちに中禅寺湖に注ぐ。明治時代に、トーマス・グラバーが初めて鱒を移入し、外国の外交官が日本で初めてフライフィッシングを行なった地として知られる。当時のハンター氏やパーレット氏など、土地の人たちの間では今でも敬意を込めて語られている。国立公園が制定されるはるか前、100年を超える歴史の長さを誇る。とりわけ湿原である戦場ヶ原の素晴らしい風景の中でのフライフィッシングというのは、奥日光の一つのシンボリックな光景として、観光写真などにも取り上げられてきた。フライフィッシングの祖国、英国のチョークストリームを彷彿とさせる流れというのも、よく使われる言葉だ。地元の多くの人にも、奥日光の文化的な遺産ともいえる光景だと認識されてきたのは間違いないだろう。
ボクが奥日光を訪れるたびに思うのは、当時の外国から来た外交官の人達が、よくぞこの地を見つけたものだということだ。日本のことをよく知らない人達が、交通の便もよくなかった時代、いろは坂を越えることすら大変なことだったに違いない時代に、よくぞ、ここまで… 奥日光に辿り着いた彼らは、思わず、膝を打ったのではないだろうか。何という素晴らしい場所。火山の爆発によって形作られた湖沼群や湿地、そして湯川。まさに、鱒釣りのためにあるとしか思えない土地が、東洋の果てにある小さな島にあった!奇跡だ!
しかし、火山活動の後遺症として、当時の酸性化した水系には、鱒はいなかったと伝えられる。この土地で鱒釣りができないなんて…その思いが彼らを衝き動かしたに違いない。鱒を運ぼう。これまた大変なことだったに違いないが、南半球にまでトラウトを運んだ彼らのことだ、やらない理由はなかったのだろう。ブルックトラウトやレインボウトラウトの卵を米国から移入し、日本の鱒釣りは、新しい歴史をスタートさせたのだ。鱒釣り師というのは、いつの時代でも、どこかに気妙な熱気、いや狂気をはらんでいるのだと感心せずにはいられない。
当初は釣り人だけの土地であった。しかし、今は、数でいえはハイカーが圧倒的多数であり、釣り人は少数派である。ボクをはじめてとする釣り人の多く、特にフライフィッシャーは、ハイカー以上に自然の大切さを理解しようとする気持ちを持っていると自負しているだろうし、ロゥ・インパクトな釣りを心掛けている。しかし、その一方で、釣り自体があまり認められるとも思えない。フライフィッシングって立派なスポーツすね!と誉められたいとも思わないが、せめて、なかなか面白そうだね、こういう自然との遊び方もあるんだねくらいは認めて欲しいものではないか。環境の保全・維持と釣りが相反する立場にあるとは思えない。釣りの立ち位置について話をする必要があるし、その時期にきたと思う。

| ロッドを高枝ばさみに持ち替え、枝にからまったティペットを取り除く。 |
これまで、水研、全内、釣り人の関係は良好だった。一つの事例は、「リバークリーン」という湯川の清掃活動がある。毎年、9月末の禁漁を迎えた最初の週末、10月第一週の週末、全内の呼びかけに応じた釣り人が集まり、川の清掃を行なってきた。枝に引っ掛かったフライや、結ばれたままのティペットなどを回収しながら湯川を歩く。他の人がどんなフライを使っているのかを知りたい人も、6月に引っ掛けてしまった秘密のパターンの流出を心配する人も、フライを探すために集結していた。
あまり威張れた活動ではないかもしれない。しかし、多くの釣り人が訪れ、人気のあるフィールドが抱える宿命的なことともいえる。本来、引っ掛けたフライやティペットなどは、そのときその場で可能な限り回収すべきものであり、改めてそういう活動をしなければならないというのは少々違うのではないかとも思える。それでも、届かないようなところに引っ掛けてしまうこともあるし、シーズン後に長い回収用具や脚立を使って回収するのは、決して無駄なことではないだろう。また、木道や川の周辺の瓶や缶、ゴミ(釣り人以外の人が捨てたと思われるものが圧倒的に多いが)なども一緒に回収し、終わったあとには、水研に場所を移し、水研の研究内容を聞かせて戴いたり、水研・全内も交えて釣り人との意見交換をしたり、水研場内の見学をさせて戴いたりしてきた。釣り人と川を実質管理する双方がお互いを尊重しあった、有意義な場であり時間だと思っていた。ボクには、一体感というか、同じ側に立っていることを確認することに意義が感じられた。
もっとオープンに、もっと密接なコミュニケィションが持たれるべきだと思う。何が問題で、どうすれば改善できるのか。釣り人がわがままをいうのではない。川の管理者とその利用者という上下関係でもなく、自然を利用する上で、よりよいバランスのとり方はないのか、もっと多くの人が、あの類稀な、国民の財産ともいえる奥日光の自然を、ロゥ・インパクトで楽しむためにはどうすればいいのか。全体をマネジメントするという観点で考えることが欠かせないと思う。
ワイズ・ユース(wise-use 賢明な利用)という言葉を持ち出すまでもなく、自然の利用、自然を通じたリクリエィションの重要さはいうまでもない。自然公園法(旧国立公園法)にも、広く国民に資すると謳われている。国立公園で自然の素晴らしさを体験し、明日からの元気の源にしようとするのは、ハイカーだけではない。ナチュラリスト、バードウォッチャー、キャメラマン、水彩・油彩スケッチの愛好家、釣り人なども同じだ。楽しみ方が違うだけで、数の多い少ないではない。全ての人が、あの自然の素晴らしさを体験できるというのが法の根底にある。
湯川の釣りというのは、日本で経験できる最も美しいフライフィッシングの光景だ。「絵になる」という言葉が完璧にマッチする。一口に100年というが、ニ世代以上にわたる歴史なのだ。100年を超す間、この地の釣りに、多くの人が愛を注いできたということに意味があるように思う。歴史的な意義として、「遊漁」という概念が日本にもたらされ、確立された場所である。多くの人に自然の素晴らしさ、自然の中での釣りの素晴らしさ、スポーツとしての釣りをおしえてきた場所なのだ。100年という数字が重要だということとは少し違う。時代とともに価値観は移り変わり、いまの時代にあったフライフィッシングが求められているのだとすれば、釣り人も変化を受け容れるべきではないだろうか。

| 包容力のある湯川では、多くの友人や知人に会うことができる。 |
ボクが湯川に立てるのは、せいぜい年に10日までだ。しかし、決して失ってはいけない。次の世代に引き継がなければ、後世の非難は避けられない。そう思ったボクは、禁止区域の拡大が発表されたあと、反対する署名運動に加わった。とにかく「それは困る」と意思表示しなければ、そのまま禁止区域が決まってしまうという危惧があったし、水研・全内と話し合いのテーブルにつくキッカケが欲しいと思ったのだ。地元の強い後押しもあって、署名は驚くほど多くの人に協力戴き、一つの方向に向かって動いていた矢先に、突如、禁止そのものが撤回されてしまった。相撲でいう肩透かしにあったようなもので、拍子抜けの感はあるが、当たり前の結論に落ち着いたことを評価している。落ち着いた大人の判断だと思う。
全内(水研)の発表によれば、「釣り人の意見を聞いて」更に検討するとなっている。環境サイドの人たちも交えて、今後の方向を探ることになりそうだ。大変嬉しいことではないか。ボクには、管理者であった彼らが、「利用者と一体になって」問題解決に動こうとしているように思える。チェンジ・マネジメントだ。ボクたちの意見を聞いてもらえれば、今まで感じていたようなもどかしさは消えるのではないか。100%ではないかもしれないが、軽減されるのではないかと思う。
署名運動を展開した会はいまも活動を続けている。急ごしらえであったので、不備なことや、運営に不慣れな点も多々あるが、多くの人のサポートが必要だ。これから、様々な形で、様々な方と環境保護と共存できるフライフィッシングの話し合いが行われる。これまで湯川で釣りを楽しんでこられた方、いつか湯川と考えている方は、是非、会のHPにアクセスし、この活動の今後に興味を持って戴きたい。還暦の身には、少々ホネな仕事なのだが、ボクも赤いヴェストを着て、次の世代の人達にも湯川の釣りを楽しんでもらえる活動に取組もうと思う。そうじゃないと、100年も前に苦労したトーマス・グラバーに申し訳ないという気がするのだ。
<HP http://yukawa.arrow.jp/>

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