Angler in The Dark 87

ふられた気持ち You've Lost That Loving Feeling


坂口 正夫

謎の川。この写真に似た図柄のテレフォンカードがコトの始まりだった。
@yoshizo


見れば見るほど、心がときめいた。ボクは、一枚のテレフォンカードに釘付けになっていた。1997-8年頃のことだ。使い切って残高のないテレフォンカードだが、捨てられずにいた。図柄が川の写真だった。それもとびっきり美しいスプリングクリーク、に見えた。鱒がいるに違いない。まだ知られていないトラウト・ストリームがそこにある。一目ぼれ、そういう感じだった。

インターネットはまだまだ初期で、グーグル・マップもストリート・ヴュウもない時代だった。畏友のH氏にテレフォンカードを見せたところ、彼もボクと同じ感じを持ったのだろう、いってみようということになった。テレフォンカードにある小さな手がかりをもとに、場所を絞り込んだ。写真の背景には、それほどの標高ではないが、美しい形の山があった。全体的に里川のような雰囲気ではあるが、トラウト・ストリームとしての資質はありそうだった。シーズンオフのある日曜日の朝早く、畏友H氏のスバル・レガシーに乗り込んで、二人で常磐道に向った。


最近おしえてもらったナイショの川。レインボウがいる。


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この頃、ボクと畏友H氏の間での話題の多くは、「新しい川を開拓しよう」ということだった。前に書いたように(第85回)、北海道で新しい川を見つけるということもテーマだったが、同様に首都圏から行ける範囲での新しい川というのも、大きなテーマだった。ボクは横浜、H氏は鎌倉に住んでいた。あまり知られていないトラウトストリーム、できればスプリングクリーク、もっと欲をいえば、レインボウ・トラウトがワイルド化している川を見つけたいということなのだった。首都圏から行けるトラウト・ストリームといえば、ヤマメやアマゴ、イワナの川を除けば、奥日光湯川と山梨の忍野が定番で、その二本以外は、大河の本流であったり、簡単には近づけない川しか知られていなかった。情報の少ない時代だったのだ。

もちろん、「人が知らない川」や「新しい川」というのは、釣り人にとっては誰にとっても古くて新しい課題であり続けていたわけで、新しい川の発見に心をときめかせたのはこのときだけではない。遡ること10年ほどだろうか。ある老舗プロショップに勤務するYさんと焼鳥屋で一杯飲みながら話をしていたとき、彼から耳寄りな話を聞いた。Yさんはオーナーではないが、そのプロショップに長く勤めていて、温厚な性格に加えて正直なことでは折り紙つきといってよい人だった。ボクは何度か一緒に釣りに出かけていて、友人のような関係だった。

栃木県を流れる思川というのがある。里川で、テトラポッドなどで護岸されている場所もあり、風情はイマイチだが、「砲弾のようなレインボウが並んで泳いでいる」というのだ。むむむ、砲弾のようなレインボウが並んで・・・釣り人が多い店内は、一瞬、凍りついたように静かになった。情報が集まる老舗プロショップ。そこに勤める正直者のYさんからの情報。何人かが聞き耳を立てているのがわかった。耳がひくひく動いていたからだ。Yさんも、しまった!と思ったのだろう、少し声をひそめて話を続けた。

実は、今週、そいつを釣りに行くんですよ。あれは、きっとものすごいレインボウですよ。フッキングしたら一気に下流に向って走る、跳ぶ、ティペットを切ろうとテトラの下に逃げ込もうとする・・・。来週、サカグチさんにはちゃんと報告しますから。

翌週は、彼が現れるのを今や遅しと、突っ走る砲弾レインボウの妄想を膨らませながら毎日焼鳥屋でまちぶせをした。まあ、そうじゃなくても、焼鳥屋には毎日行っていたのだが・・。彼の報告は衝撃的だった。「アイソ祭り」だったというのだ。アイソというのは一種の隠語(方言?)で、ウグイのことだ。最近でこそ「春の遡上マルタ」として一目置かれる存在になってきたが、当時、ウグイというのは釣りの外道として嫌われ、ウグイが一杯釣れることを、ボクたちはアイソ祭りといっていた。レインボウと思っていた砲弾は、全てウグイだったというのだ。開いた口が塞がらないというのは、こういうことだろう。ボクは茫然と聞いていた。


ナイショのレインボウ。上流に放流された鱒が落ちてくるようだ。



もちろん、いくら正直者のYさんとはいっても、「レインボウはいなかった」という話を鵜呑みにしたわけではない。釣り人なら当然のことだ。親友を疑うのか?という人がいるかもしれないが、ちっち、そんなに甘ちゃんではいけない。これまでに、何度煮え湯を飲まされたか分らない。一体、どれほどのガセネタ、ホラ話に出合ったことだろう。開高健さんは、釣り人と話をするときは手を縛っておけ、といわれたが、ボクは、釣れた・釣れなかったという話と、鱒がいた・いないという話は、たとえ、どんなに親しい友人でも、いつも眉につばをつけながら聞く癖がついている。Yさんは釣り人だ。釣り人というのは、どこまでいっても釣り人なのだ。

彼がウソをついている可能性は捨てきれないではないか。いや、真実を言っていない可能性は非常に高いというべきかもしれない。オトコというのは、浮気をしていても、聞かれなかったから言わなかっただけだとか、言わなかっただけでウソをついたのではない、などとトンでもないことを口走るものなのだ。オトコの釣り人、そう簡単に信じるわけにはいかない。いや、自分がそうだから、他人もそうに違いないといっているのではない。経験則というやつだ。実際には、それこそ砲弾のようなレインボウがじゃかすか釣れたのだが、サカグチやその友人たちに話すのは口惜しい。いや、恐ろしい。そこで、釣れなかったことにする。いっそ、ウグイだったことにしよう。

はっは、そんなこたあ、お天道様はとっくにお見通しさっ!

ということで、Yさんの話の裏づけを取るのはもう暫く時間を必要としたが、結局、話が覆ることはなく、届く知らせはYさんの話を証明するものばかりだった。彼が信用できる人であることは確認できたものの、ボクはひどく失望した。
***


こちらは、秘密のヤマメの川。この堰堤の上下にひそかに生息している。


捲土重来というのだろう。今度こそは、という思いを抱いてレガシーの助手席に座っていた。目指すは恋瀬川。テレフォン・カードに恋瀬川と筑波山と書いてあったのだ。ボクもH氏も茨城県のことは詳しくなかった。筑波山といえば、火山ではないが、富士山と並び称せられたという程度の知識だ。富士山には湧き水がある。筑波山にもあって不思議はない。そういえば、傷の特効薬であるガマの油も筑波山で製造すると聞いた覚えがある。そのような摩訶不思議な場所であるなら、トラウト・ストリームの一本くらいあってもいいだろう・・・

どこのインターで下りたかは定かではないが、ボクたちは着々と目的地に近づきつつあった。シーズンオフなので、タックルは用意していなかった。双眼鏡とポラロイド・サングラス。それで魚影が認められれば、来年は目立たぬように、もちろん、誰にもいわずコッソリと来よう。そういう筋書きというか、魂胆だった。それが釣り人というもんさ。

恋瀬川に着いた。しばらく歩いたのち、ここから撮影した、という場所を見つけ出した。が、しかし・・・完全な里川だった。ゆったりと流れていたようにみえたのは、主に平坦な地形と流れが浅いことが理由のようで、雰囲気だけは、どこかスプリングクリークを思わせる風情はあった。しかし、鱒はいない。ウグイはいるだろう。綺麗ないい川だが、トラウト・ストリームではなかった。世の中、そんなに甘くはない。

おそらく、多くの人が同じような経験があるだろうと思う。写真で惚れて、実際に会ってみたら、詐欺だろー!と叫んでしまう経験。しかし、このような場合、悪いのは恋瀬川でもないし、写真の本人でもない。問題なのは、こちら側の思い込みなのだ。


今回のために、わざわざ撮影してもらった恋瀬川。いい川だ。
@yoshizo



ボクたちは言葉少なく恋瀬川をあとにした。脈絡はないが、ラーメンを食いにいこうということになった。たぶん、落ち込んでいるボクを、ボクの大好物であるラーメンで元気付けようというH氏のはからいだったのだと思う。彼の案内で、茅ヶ崎にある有名なラーメン屋(店では、支那そばといっていた)に着いて行列に並んだ。並ぶことには文句はない。しかし、私語厳禁で、店内にはビールもないという。ボクは店の近くの自販機で缶ビールを買い、不貞腐れたままビールを飲みながら自分の順番を待った。

店に入ると、目つきの悪いキツネ顔の店主が無愛想にチャーシューメンは売り切れだという。スープに使っている鶏はどこそこ産、昆布は、と食材の薀蓄があちこちに掲げられた店内で、評判の(といわれていた)ラーメンを黙々と食べたが、味はさっぱりだった。というよりも、記憶にない。オンナに振られたときに食べたって、何の味もしないのと同じだ。これは、何度か経験がある。ほんとうに「ふられた気持ち」だったのだ。ボクは、テレフォンカードとビールの缶を一緒に捨てた。まるで、振られたオンナの写真を捨てるように。

ボクたちの思いも恋焦がれる気持ちもなかなか通じない。思川に恋瀬川。どちらも名前は素敵だ。どんな由来があるのかは知らないが、何か伝承があるに違いない。川が日常に近かったのだろう。土地の人たちの川への愛着を感じることができる名前じゃないか。でも、トラウト・ストリームではない。残念なこととしかいいようがないが、これからもふられた傷口にガマの油を塗りながらも「新しい川」を探していこと思うのだった。あ、ガマの油も買い忘れてしまった。今度、茨城の友人にたのむことにしよう。



小さいが、綺麗なヤマメ。確実に生き延びている秘密の川。