Angler in The Dark 5

北海道のログハウス


         坂口 正夫
ログハウスが完成した頃アメリカにも熱中していた。ユタ州グリーン・リバーのレインボウ。
ボクは北海道の標津・川北にログハウスを持っている。1989年に完成し、12年が経過した。ログハウスといっても、北海道産の余り太くないログでささやかな造りだし、持っているとはいっても、11名共同所有である。メンバーには全く釣りをしない人も2名含まれているが、他のメンバーは全員フライフィッシャーである。建設した当時、自営の人が4名で残りはサラリーマン、世代は30台から40台後半までと幅広かった。今では、サラリーマンから自営へ転じた人が2名、無職へ転じたものもいる(ボクだ)。

その当時、ボク達の間では北海道・道東での釣りが主流になっていた。しかし、メンバーが住む横浜方面から何度も阿寒川や西別川に行くというのは、当然のことだが、大変なことだった。遠距離恋愛である。コストを下げ効率的に時間を使いたいと考えるうちに、キャンプをしながら釣りをやるようになり、キャンプ用具をその都度運ぶのは手間がかかるので、川の近くにある牧場や知り合いに預かってもらうようになっていった。こんな時、誰からともなく「道東にログハウスを建てよう」という話が持ち上がったのだ。11分の1の負担でログハウスが手に入るなら悪くない。バブルのさなかで不動産ブームに浮かれていた時代らしい皆軽い気持ちだったと思う。

別荘の場合、最も重要なのはロケーションだと言われる。釣りのための家も同様である。折角の別荘も、往々にして建てたはいいが「使われない」ということが生じるからだ。良い場所はないかと探していた時、当時の阿寒での釣り仲間であった標津・川北の友人が土地を分けてくれるということになった。電気も水道も無いような原野では困るし、かといって大きな街に近いところでは興趣は失われる。道東の小さな街の、その外れの一角にあって、周囲には広い牧草地が多い。防風林の向こうに武佐岳を望む150坪ほどの土地はボク達のログハウスには最適に思われた。

阿寒川までは少し遠いが、それでも車で1時間半、西別川には30分ほどの距離である。最近、鮭釣り(調査捕獲)が認められた忠類川までは15分もあれば着く。弟子屈を流れる釧路川や標津川といった大きな川から、知られていない小さな川に至るまで鱒属の魚が棲んでいる。アキアジ・カラフトマス・サクラマスが遡る川も少なくない。知床やオホーツク海側にも釧路湿原にも近く、春夏秋冬、道東の魅力を感じることができる土地だ。

何故だか分らないが、オトコはログハウスが好きだと思う。原始の声が呼びかけてくるのだろうか。木を切り倒し丸太を積んで家を建てるというイメージは、子供の頃にロビンソン・クルーソーの無人島物語やトム・ソーヤーなどに影響されて、大きな木の上に「秘密基地」を造ったりした熱意に似ているようでもある。



建設のコンセプトは、「釣りの基地」であり「非日常」だった。オフの日に仕事や家族とは離れ、釣りに没頭するための空間を造るということだった。一人一人が描いた「道東のログハウス」には、様々なイメージがあったと思う。多くの人の違うイメージを、可能な限り統一して実現させ、かつ当初のコンセプトを失わないように設計された。

11名全員が集まっても狭苦しく感じないように個室は1つ、あとはリビング兼ダイニングの大きい部屋だけに抑え、広いロフトにメンバー分の組立式のベッドと寝袋を用意した。これ以外の主な設備として新たに購入したのは木のテーブルと薪ストーブのみだ。皆が了解した予算を守るため、設備や備品にかけるお金は極力抑えたかった。このため、不要になった電気器具や食器、棚など使えそうな物をメンバーが一ヶ所に持ち寄り、発送した。古くなったヴァンを拠出してくれた知り合いもいて、メンバーの一人がフェリーを使って運んだし、カーテンは別のメンバーが寄付してくれた。全てがヴォランティアというか激しい熱意で進められたのだった。みんな「男の子」に戻っていたのだと思う。

極力内装にお金をかけないようにしたことがかえってシンプルな飽きのこない雰囲気を醸し出している。一つだけ失敗があるとすれば、対面式のキッチンである。料理を作ったり食器を洗ったりしながら会話ができると思ってデザインしたものの、カウンター越しに男同士で目と目を見詰め合いながら料理を作る気には一度としてなれなかった。普通の家と違うのは、電話がないことだ。明日はどこの川に行こうかデカい鱒はいるだろうかと夢想している時に、家族から呼び出されるなんて考えたくもない。これは、非日常というコンセプトを貫くため、譲れない線だった。

川北の建設業者が施工してくれ、完成後は川北の友人一家が家の面倒をみてくれた。街の人たちも暖かく歓迎してくれた。完成した時には大勢の人が集まり、ログハウスの前庭でBBQパーティまで開いてくれた。遠く離れているので、メンバーによる利用日数が少ないのは仕方ないのだが、使わないと家は傷む。そのため、街の人たちに適宜使ってもらって、その代わりに掃除や換気をやってもらうことになっている。子供の絵画教室や消防団の集まりなどに利用されているようだ。川北の人たちに支えられて12年、ログハウスは重ねた歳月の美しさを見せ、大変良い状態に維持されている。積立金での修繕・再塗装も定期的に行われ、会費での運営にも特段の支障は起きていない。

この手の話は、釣りをする人なら友人とよく語る「夢」の一つだろうと思う。殆どの人が「い〜ねえ、やろうよ」ということであろう。しかし、実現させたという話は余り聞かない。障害が一杯あるからだと思う。共有の家を建て、各人の権利・義務をはっきりさせることなどは結構難儀な調整を必要とする。しかし、実は、本当に難しいのは、建設のための障害ではなくて、むしろ建設後の継続的な利用・活用にある。

12年の間には様々な変化があった。メンバー個々人の変化、人間関係の変化、そして川の変化。中でも、最も変化を感じさせるのは、各メンバーの利用頻度が減ってきていることであり、かつてのメンバーで釣りにいくことはなくなったことだ。男の子もいずれ大人になるということかもしれないし、人の気持ちが変わるのも避けられないということだろう。

ボクはと言えば、相変わらず北欧製のウッド・バーニング・ストーヴの前で、オレンジ色に燃える炎を見ながら暖まっているのが好きで、ここにいると、ログハウスを建ててよかったと思える。ロフトには、大きな天窓がとってあり、その下にベッドを組み立てて星を見ながら寝るのはボクの一番のお気に入りだ。これからも、折りを見つけてはログハウスに行くのだろうと思う。

この間、釣りを止めたメンバーはいないし、遠くにあるために旅費がかかることも変わってはいない。だから、行きたくても行けないというのとは違うようだ。飽きたというか、認めるのは辛いが、建設の瞬間には充満していたみんなの熱意が冷めてきたのだと思う。それとも、道東の川が釣れなくなってきて、道東あるいは川北という土地に対する魅力が失せてきたのだろうかとも考えられる。答えは無いが、ログハウスが歳月を経て存在感を増す一方で、人の気持ちの移ろいには一抹の寂しさを禁じ得ない。既に鬼籍に入った友人が完成祝いに作ってくれた風見鶏ならぬ風見鱒が、屋根の上で歳月と風に晒され、動かなくなってから久しい。


昨年もログハウスをベースに北海道の川をいくつか巡った。